「プチ紳士からの手紙」に

中日新聞に連載されていた「ほろほろ通信」を
楽しみにされていた方も多いはず。
それを書いていらっしゃった志賀内康弘さんは
AHIの力強いサポーターです。
 
「何か良い話があれば、ぜひ」とずっと言われていました。
AHIのまわりに良い話はいっぱいある、とは思っていたのですが、
志賀内さんにお伝えしようと思うような完結したわかりやすい話は
なかなか見当たらないままに、何年も過ぎてしまいました。
アジアのネタは状況説明をいっぱいしないといけないし。
 
そんな中、あれこれやりとりする中で、
ふと思いついて、2010年2月に会報に書いた記事を
ご紹介しました。
それを今回の「プチ紳士からの手紙」第153号に
掲載していただきました。エッヘン。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「思いはつながる」
1991年6月にフィリピンのピナツボ山が噴火しました。
AHIに就職して半年、AHIのラウンジから見える夕焼けが
本当に鮮やかで見とれていたら、これも噴火の影響と聞いて、
愕然とした記憶があります。
ピナツボ山の麓で暮す山岳少数民族アエタスの方たちも、
生活の場が灰に埋まり、避難を余儀なくされていました。
AHIの元研修生のボトンさんは、ずっとこのアエタスの方たちを
支援してきました。
ちょうどそのタイミングに愛知県のI市で、
国際交流協会を立ち上げるために多額の募金が集まり、
その使途に関してAHIに相談がありました。
継続的な関係を望まれていることもあり、ボトンさんを紹介しました。
そして中心の何人かの方が職員と一緒にピナツボに出掛けていかれました。
アエタスの皆さんにどんな支援がほしいかと尋ねたところ、
これまで世界中から多くの支援が寄せられたけど、
自分たちの意見を聞いてくれたのはこれが初めてだと
大変喜ばれたとのこと。
そして、早く自立したいので、降り積もった灰をどけるために
バケツやスコップ、そして水牛がほしいとのことでした。
その後、I市の皆さんは数年前まで、
毎年このアエタスの皆さんのところを訪問してこられました。
1995年1月、阪神・淡路大震災が起きました。
このニュースは、アエタスの方たちのところにも届き、
自分たちが大変な時に日本の人たちが助けてくれたから、
今度は自分たちができることをしたいと
ボトンさんのところにカンパが集められ、
I市の皆さんのところに千円が送られてきたそうです。
これはアエタスの方たちにとって、
一か月分の生活費にあたる金額とのこと。
この千円を受けて、I市の国際交流協会の方たちは、
自分たちも何かをしなければと、さらに寄付を集めて、
100万円にしてAHIにもってきてくださいました。
当時、AHIは阪神・淡路大震災に関して、
ささやかないくつかの活動をしていたからです。
活動の一つに神戸のボランティアの皆さんと一緒に、
集合型仮設住宅にお住まいの方を招いて、
毎週水曜日にお茶会を開催していました。
集合型仮設住宅というのは、ご高齢だったり、
障がいをお持ちだったりして、単身での生活に不安のある方たちが
対象の住宅です。その方たちがAHIの活動資金として、
フィリピンのアエタスの人たちのカンパがあったことをお知りになると、
自分たちも何かしなければと、「カラオケに行ったつもり」で、
皆さん数百円ずつのカンパを集めて、AHIに送ってくださったのです。
こういった「思い」が循環する中にいさせていただけて、感謝!
 
職員 はさだ