カーネーションの向う側

昨日は母の日。

廃業も考えていた花屋さんが、母の日の花束の注文が

たくさんあったことで、誰もが大変なときだが、花に

気持ちを託したい人がたくさんいることに元気を

もらいました、と被災地での取材があった。国内各地でも

「家事やお仕事の日頃の疲れをいやしていただこうと」

各地で母の日特別サービスもあったよう。家事やお仕事の

疲れがまず当てはまるのは、やっぱり「母」なのかと

思いながらニュースを聞いた。

朝のNHK連続テレビ小説が好調らしい。「~楽しみに見て

います。不当に差別されていた100年前の女性の『はて?』

に視聴者がわかるわかると共感を寄せている」とある人の

インタビューが新聞に載っていた。たしかに100年前の

もやもやは、今も共感できるものが多いように思う。

ではもやもやを言葉にし、何を変えていくべきかを

明確にし声をあげるという忍耐が要るこの道のりに、

100年は決して長くはないのかもしれない。一方、

今そのもやもやを共有するのは、より多様な人

たちと言えるのではないだろうか。それが今だから

こその強みと希望だろうか。

職員 はやしかぐみ

↑ 写真:2018年国際研修の参加者ヒマさん。カースト制の底辺に

置かれたダリットとして、女性として、二重の壁に声を上げる。

ヒマさんのお父さんは、20年近く差別と闘う娘を認め、

さらには誇らしく思うようになったという。

「お前は私の娘ではなく、息子だ」と。