人権を語ること

スリランカの研修生から、ヒューマン・ライツ・コミッション(人権委員会)という言葉が何度か聞いたことがありました。その人の場合は、少数派のタミル人、さらにはイギリス植民地下においてインドから移住した、インド・タミルの立場で人権を守る活動を30年続けています。人権侵害のひどいケースが生じた場合など人権委員会に訴えるだけでなく、当委員会の人を通じて国際的なネットワークにもつながりを持つこともできたと話していました。

ただその度に、その委員会がどういう性格・位置づけのものか、どういうオーソリティーを持っているのかと思いつつ、そのままにしてしまっていました。そのひとつの答えを、先日届いた「国際人権ひろば」No.172(発行:一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)の記事に見出すことができました。

世界には120の国家人権機関があるが、日本にはないこと、政府から独立した人権機関の設置勧告を受けてから25年経つが、まだ実現していないこと、10年ほどまえに人権委員会を作る作業が政権内で始まったが、それ以降停滞していることなどが書かれていました。

当該記事の一部を紹介します。

小見出しには、「なんで国家(国内)人権機関か - 人権と救済は一体」とあります。そして「人権がある」というだけでは不十分である。侵害された人権を回復するシステムがなければ、人権保障ではない」と続きます。

人権を叫ばならない現実が目を覆うほどに世界各地にあり、深刻さが増しています。人権という言葉は、それが侵害されていると感じている人がいるという事実と切り離せない、言い換えれば語るだけでは終われないということをしっかり受け止めたいと思います。

職員 はやしかぐみ