元気に育った、はずだった

新聞で「被爆78年」というシリーズが掲載されている。今日は、8月6日の後「元気に育った、はずだった」のに、10年近くを経て白血病でいのちを落とした子どもたちのことが伝えられている。その一人が折り鶴とともに語られる佐々木禎子さんだったという。AHIの国際研修での広島研修でその話に触れたアジア各国の研修生から、今まで私は、SADAKOとして聞いていた。記事では、禎子さんのお兄さんのコメントも載せられてた。禎子さんのお兄さんがご存命で妹の生涯を伝えることで核兵器をなくそうと発信しておられることに、なんとなく「遠い過去」の話として聞いていた自分自身を思わされた。

職員 はやしかぐみ

↓ 2019年広島で。日進市の市民グループから託された折り鶴を持っていった。

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