悼むとは?

今日は少し真面目なお話をします。

今朝起きたら、英国女王エリザベス2世が死去したニュースがラジオから流れてきました。

自国のことでないのに関わらず大きく報じられるのだから、

やはりイギリスの影響力はいまだに大きいのだなと感じつつ、自分のSNSを眺めていました。

私はインドに滞在していた関係で、南アジア関係のアカウントもよくフォローしているのですが、

あるインド人がSNSで、およそ300万人が餓死したと言われるベンガル大飢饉(1943年)を取りあげて、

当時ベンガルを植民地支配していたイギリスの現君主としてエリザベス女王を痛烈に批判していました。

日本ではエリザベス女王は国民から愛された君主としてポジティブに報道されているものがほとんどかと思いますが、

私は、イギリスから植民地支配された歴史を持つインドに住むこの人のSNS投稿に強い印象を受けました(もちろんインド人の中でも意見は様々でしょうが)。

ところで、昨日で安倍元首相が暗殺されて2ヶ月が経ちました。

「悼む」とはどういうことかを考えさせられます。

悼むとは尊重されるべき大切な感情であると思います。

しかし一国の君主や首長といった極めて大きな権力を持った公人の死に対して、

私たちは「悼む」ことを強要されてはいないだろうか。

その裏で、隠されていく真実は無いだろうかと、

考えさせられます。

大きく報じられる死がある一方で、孤独に死んでいく人々がたくさんいることも思います。

自分はどちらの死に目を向けていくか、

改めてそう問いかけられているようにも思います。

※写真はAHI事務局外に生えているトウカエデの木。

まだまだ夏の緑でふさふさですね。

(職員 関口)