日々、誰かを思うということ

このブログを書こうとしたら、ロシアによるウクライナ侵攻の
ニュースが目に飛び込んできました。
ずっと懸念され、いろんな外交努力もされていましたが、
ついにおこってしまいました。
 
一番上でご紹介しているのは、我が家の近くのたんぼの畔に
見つけた春の花です。
枯れた草の中で、見過ごしてしまいそうです。
でも確かに咲いていました。
こうして春が近づいてきたことを喜びながら、日々を送りたいわけですが、
ウクライナの草の根の人たちは、どう過ごしているのだろうと思うと
素直に喜ぶことが難しくなります。
(だからと言って、この世界にウクライナにしか問題がない訳でもないのですが)
 
でも、そんな時に、リュウ・チャクマさんが今朝送ってくださった
STA通信の一節を思い出したのです。


日進市のAHI(アジア保健研修所)で若い女医(ここはあえてこう言わせてください)さんが
「インドの村で出会った女の子がずーと気になっています。特別に何の関係もないのですが、
その子に会うために元気でいようと思います。運転する時もその子に会うために安全に徹しよ
うと思ってます。」と語られたのが今でも記憶に残っています。


 
ずいぶん前のことでしょうから、この若い女医さんがどなたなのかはわかりません。
でもきっと、スタディツアーに参加された多くの方は同じような思いを
おもちになったことでしょう。
誰かを思い続けることは、きっと何かを生み出すことに
つながるのだろうと、信じたいと思います。
 
リュウさんは「涙の分かち合いアジア」という団体を作り、
ずっと地道な活動を続けていらっしゃいます。
なぜアジアの問題に取り組むのか、といろんな方に尋ねられるそうです。
人権に国境はないとリュウさんは書かれています。
 
春の草花を見て、きれいだなと思い、
今、花を見る状況ではない方たちのことを思い、
そしてその人たちの安全と平安を祈る。
ただただ、花をきれいだと思い、すべての人が
そんな花を楽しめることを祈る。
 
職員はさだ