8月6日に想う

子どもの頃、8月6日は毎年、夏休み中の登校日だったように思う。
全校児童が体育館で黙とうをしたように思う。

その登校日がない大人になって久しいけれど、毎年どう過ごしたら良いのだろうと考えてしまう。
1人黙とうをすれば良し、なのか。
自分なりの平和への活動を日々していればそれで良いのか。
子どもを持つ親になった今、子どもたちに戦争とはを伝える機会なのか。戦争を知らない世代として?

子どもの頃は、なぜか「自分が生まれる前の昔」に起こったこと、と思ってしまっていた。
今から比べると、ずっと近い過去だったにもかかわらず。
なぜか今、全然「昔の話」と感じなくなっている。
その時、例えば「祖母は何歳だった」と数え、「自分がその年齢の時にそんな経験をすること」を考えてみる。
もしくは、その経験すらできずにこの世界から自分がいなくなってしまうこと、を考える。
祖母がいなければ、母は生まれず、自分も生まれなかった。そして自分の子どもたちも。
その可能性は十分にあった。
亡くなった方一人一人にも必ず生みの親はいて、ととりとめのないことを延々考えてしまう。

職員Mc