月と芋とセミの声

先日のこと。9月10日は中秋の名月。きれいな満月を眺めることができました。

時々立ち寄るみたらし団子屋に、通りがかりにふらりと立ち寄ったら、店の前に行列ができていて驚きましたが、ちょうどお月見の日でした。

月へのお供えは、米粉の団子やまん丸な里芋などだそう。農作物の収穫に対する感謝として月に。アメリカでも、ちょうどトウモロコシの収穫期にあたり、このころの満月をコーン・ムーンと呼ぶこともあるそう。でもなぜ太陽ではなく、月に感謝するのでしょう。

 

そして明後日は、もう秋分です。

ここ南山では、まだ遠くにツクツクホウシの声が聞こえていますが、日に日に小さく、遠くなっていく。まるでにぎやかだったお祭りが終わり急に散会していくような、そんな雰囲気に包まれています。

ツクツクホウシ。やや小型で意外と見つけにくいヤツ

ところで万葉集では10種ほど、セミを詠んだ歌があるそうです。ただそのほとんどが、ヒグラシのカナカナ・・という声を読んだもの。いまでも山間に出かけると、ヒグラシの鳴き声を聞くことができますが、なかなか市街地では聞くことができません。万葉集のころはそれほど人の暮らしが森や木々の中にあったのでしょう。

 

自然の草木や田畑に囲まれた暮らしの中で、月の満ち欠けや、自然の色や音から季節やその移ろいをみる。

 

いまは季節どころか時間を正確に知ることに苦労はしません。そして時間は、どこの誰であろうと共通の基準として正確に物事が進められていきます。

キチンと、咲くべき時を、ヒガンバナも知っています

万葉集当時の日本の人びとは、自然の中で見えるものや聞こえるものさらに肌の感覚もすべてで、時を測っていたのでしょう。そんなときにはあらゆる感覚が混ぜ合わさって、今この時、だけではなく、次の季節や次の年、ずっと将来のことを立ち止まって考える。そんな時の見方をしていたのかもしれません。                      職員ご ん だ