大河内祥晴さんに思う

ちょうど一週間前の朝日新聞に、
訃報の記事を見つけました。
 
1994年の大河内清輝さんのいじめによる自殺は、
当時、日本中が驚き、怯えた出来事だったのではないでしょうか。
 
この事件の少し前に、妹が結婚して嫁いだ家(なんだか古い表現ですが)の
親戚だということを知り、私の両親は慌ててお葬式にかけつけたそうです。
 
清輝さんの自転車を修理した自転車屋さんは、故意に壊された状態を
危惧し、学校に通報したそうですが、今ほどいじめに敏感ではなかった
学校は、それにうまく対応しないままだったそうです。
マスコミの前にでなかった校長に代わり、その対応を迫られた教頭は
私の母の同級生で、その後心を病んでしまったとのこと。
いじめた側の子どもたちは、その後少年院に行ったそうですが、
どの子の家も、父親は誰もが知るような大きな企業に勤めていて、
経済的には安定していたそうです。
誰一人、幸せにならなかったこの出来事を、どう受け止めたらいいのか。
 
親戚としては、遠い関係なので、妹の家で行われる
お葬式や法事の際に、清輝さんのご両親にお会いするくらいでしたが、
いつも穏やかで優しい静かな雰囲気をお持ちのお二人でした。
タケノコの季節には、早朝にタケノコを掘って、私たちに
配ってくださるような、心遣いのある方たちです。
 
特にお父様の祥晴さんは、いじめに関する講演会などで、
呼ばれることも多かったとのこと。
またそういったことに悩む子どもが家を訪ねてきたり、
泊まっていくこともあったそうです。
 
最近は体調を崩されていると聞いていましたが、
この訃報を目にして、あらためて、いろいろな思いが巡ります。
 
法事などでお会いしても、清輝さんのことや、いじめの問題のことなど、
私から話題をふることは、とうとうできませんでした。
ご自分から、何かを声高に言われるような方ではなかっただけに、
なぜこちらから話題にしなかったかと、悔やまれます。
ご本人にとってお辛いことではないかと遠慮したわけですが、
結果、その人をさらに孤独にしたのではないかと思うのです。
 
会報10月号で、何度もこのブログで話題にしてきた
映画「夜明け前のうた」の試写会のことなどをご報告するよう
編集中です。
 
いろいろな障害の中でも、特に精神の障害は、様々な偏見もあり、
ご本人もご家族も周囲の方たちも、より一層複雑な思いを
お持ちになります。
積極的な慰めの言葉は、時として傷つけることにつながるかも
しれません。そういったことを危惧して、周りの人は遠巻きに
見守るだけになりがちですが、それでも、様子をお聞きするなど、
何かしらのやりとりをすることから、始まるものもあるのかもしれません。
 
職員はさだ