杉山千佐子追悼  名古屋空襲と戦傷者たち展

5/6は戦争と平和の資料館「ピースあいち」で
毎年この時期に行われている「ピースまつり」でした。
今年もお声かけいただき、AHIとして出展してきました。
お天気にも恵まれ、若いボランティアの皆さんにお手伝い
いただき、たくさんの民芸品を皆さんにお求めいただきました。
 
ピースまつりの時は、無料開放される館内。
ちょうど開催されていた「杉山千佐子追悼 名古屋空襲と戦傷者たち」展を
じっくり見せていただきました。
 
杉山さんは、1945年3月の名古屋空襲で、左目を失いました。
軍人やその家族は補償がありますが、空襲などで負傷したり
死亡した民間人には、何の補償もないことに疑問をいだき
国家による「戦時災害援護法」の制定を求めて、
全国戦災傷害者連絡会を結成して、活動をしてこられました。
 
私自身も、かつていろんな集会で杉山さんとご一緒させて
いただくことがありました。
時には耳の痛いシャープな指摘もありましたし、
そのあとの相手をフォローするような優しい言葉や
可憐な笑顔も、印象に残っています。
失くされた左目にはいつも眼帯をされていましたが、
それは通常の眼帯よりも大きな手編みのものでした。
今回の展示で、左目だけでなく、鼻の上部も失っていらしたと
知り、あらためてあの眼帯だった意味も理解しました。
 
杉山さんのお仲間が何度も裁判で、補償を求めてこられましたが、
民間人で「政府と雇用関係になかった」ことを理由に、
門前払いのような判決が重ねられましたし、
国会でも、「戦時災害援護法」の制定のための
審議に入ることはありませんでした。
 
29歳の若さで、「眼帯なしには人前にでられない」
状況になった女性の、その心中は想像にあまりがありますし、
そういった方の訴えが戦後70年を経ても、聞き届けられないこと、
それは101歳で2016年9月に亡くなるまで、変わることの
なかったこと。
 
また、市民に消火義務を課し、避難を許さなかったため、
多くの犠牲者を出した「防空法」についても、
実物資料とともに展示されています。
 
「杉山千佐子追悼 名古屋空襲と戦傷者たち」展は
5月19日(土)までです。

どなたも、どうぞお運びください。
 
こうした心に迫る、そして足元を照らしてくれるような
展示をしてくださる、ピースあいちの存在の
確かさ、大切さをあらためて思いました。
 
職員はさだ