町作りの担い手は

先週末、浜松市で行われた叔父のお葬式で
感じたことを一つ共有したい思います。
 
私にとって父の妹である叔母はもう7~8年前に亡くなったのですが、
体調を崩してからの数年、叔父は本当に丁寧に叔母の介護を
してくれて、叔母は安心して最後の時を過ごして逝きました。
 
そんな叔父も次第に体力を落としていき、
長男である従兄弟が中心となって介護をし、叔父自身もまた
穏やかな最期を迎えました。84歳でした。
晩年はカラオケを楽しみ、デイサービスで仲良くなった女性と
デートするために、二人乗りのシニアカーはないのかと
言っていたとか。
葬儀は親族も地域の方も、参列者が多く、式の途中で
次々と椅子を足しているほどでした。
 
そして精進落としの席、
遠方からの参列者である私たちのところに
亡くなった叔父の孫である、従兄弟たちの子どもたちが、
揃って、挨拶に来てくれました。
それぞれの親である従兄弟の名前と、自分の名前、年齢を
名乗ってくれました。
 
一番上は28歳、一番下は高校2年。
私自身は親族のつきあいを一番やっかいに感じていた年頃です。
若者らしいはにかみをもちつつも、10人が並び、
順番に自己紹介をしてくれました。
 
なんと素直な!
従兄弟たちも仲良しですが、その子どもたち(ここも従兄弟同士ですね)も
普段から仲良しだそうです。
 
思い返してみれば、亡くなった叔父は、
孫の通った小学校に、ずっと花を植え、毎日の水やりに
叔父自身も通ってきたそうです。(孫の卒業後もずっと)
あるときは小豆を植え、そこで収穫できた小豆を
PTAの方がぜんざいにして、みんなで食べたとか。
そんな叔父のことを劇にして、学芸会で発表してもらったことも
あるそうです。
 
精進落としのあとは、菩提寺で納骨をしたのですが、
亡くなる2年前まで、檀家総代をしたとのこと。
大きな事業である住職交代のための晋山式まではやってほしいと言われて
責任を果たしたそうです。
 
AHIはアジアの町づくりを進める研修生を支えようとして
いるわけですが、日本の町づくりは、きっと叔父のような人たちに
担われてきたことだろうと思います。
 
「仲良きことは美しき哉」は
武者小路実篤の言葉でしたっけ?
忘れていた、そんな言葉が思い浮かぶ経験でした。
 
職員はさだ